悪あげ番外編〜BANGAI〜
儚い恋の行方
制裁という名の暴力を受けている最中に逃げ出した俺は寮長さんの部屋で、寮長さんに治療をしてもらっている。
消毒液が傷口に触れるたび、奥歯を噛み締めてしまうほどの痛みが走る。
「あれほど放課後は歩き回るなって言っただろ」
「確かに言われましたけど……でも、だって夏じゃないですか、今」
返事はなかった。
代わりに絆創膏の貼られた傷口を叩かれてしまった。
突然の、予想外の痛みに眉間にシワを寄せ顔をゆがめながらも再び口を開く。
「花火したかったんです」
「……花火とか、ガキかよ」
「ガキでいいです。だって一回もやったことないですもん、俺」
生まれてから今まで、打ち上げ花火はもちろん小さな線香花火すらやったことも見たこともない。
テレビの中では何度か見たことはあるけれども、やっぱり一度くらいはやってみたい。
だからコンビニに花火が入荷されたと聞いて買おうと思ったのに、見事に可愛い系の子たちに捕まって、さらにその後ろからゴツい男が現れて俺を殴り始めて。
今思うと、よく制裁中に逃げてくることができたな、と思う。
「終わった」
「あ、今日も治療ありがとうございました」
「本当にな。お礼にちょっと付き合え」
「……え」
今までお礼なんか請求しなかったくせに、と言うよりも先に顔に布をかぶせられ、まるで米俵のように体を抱えられてしまった俺もたまには怒っていいよな。
やわらかい布のような場所へ放り投げられた俺はそこでようやく顔を覆っていた布を取って辺りを見渡した。
どうやら車の後部座席にいるらしい。
そして運転席には煙草を口にくわえた寮長さんが座ってきた。
「寮長さん、俺は今度どこに拉致られるんですか」
「イイトコロに連れてってやるよ」
「降ろしてください」
「バーカ。もうおせえよ」
車が走り出してしまった。
夜の校舎、寮が少しずつ離れていき、最後には木に隠れて見えなくなった。
揺られること数十分、ようやく山を降りたのかなだらかな道を走っている。
「……寮長さん、今日中には寮に帰るんですよね？」
「いや、今日はホテルに泊まる。帰るのは明日だ」
「あの、ホテルって」
「ラブホがいいって？ でも残念、もう普通のホテルを予約してある」
誰もそんなこと言ってない。
でも今日は寮に帰らなくていいのか。
五條に一言、言っておいたほうがよかったか。
いや待て、そんなことよりも気になることがある。
「予約してあるって、最初から俺を連れ出すつもりだったんですか？」
「着いたぞ」
俺の問いに返事をすることはなく、車をとめキーを外した寮長さんが先に降りていった。
そんな彼に続くよう車から降り、地に足をつけると波の音と潮の香りが俺を襲った。
音の聞こえるほうへ顔を向けてみると、人が一人もいない海岸の向こうには大きな海が広がっていた。
「ほら、行くぞ」
車のトランクを漁っていた寮長さんが煙草をふかしながら海岸へ向かって歩き出したため、慌ててその背中を追いかける。
その際、彼の左手に握られている荷物に気付いた俺は思わず足の動きをとめてしまう。
そんな俺に気付いたのか、彼も動きをとめ振り向いてきた。
「どうした」
「……あの、その荷物って」
「見りゃわかるだろ。花火だよ」
そりゃ、俺だって馬鹿じゃないんだから見ればわかる。
でも俺が聞きたいのはそんなことじゃなくて。
「なんで、花火とかガキだって言ってたじゃないですか」
「ああ。だから俺はやらない、やるのはお前だけな」
喉の奥がジリジリと熱い。
なにか言いたいのに、声が震える。
「……どういう、ことですか。なんで花火が」
「前に話してくれただろ。お前の家のこと」
「同情、ですか」
「それもある。けどな、それ以上に」
目尻からこぼれる涙を隠すように俯いていると、視界に寮長さんの履いている靴が映った。
近付いてきていたんだと気付いたときには、彼の手のひらが俺の頬を滑らせ顎を持ち上げた。
涙の伝う顔を見られないよう背けようとするが、頬を包み込む手に力が込められ背けることができない。
「お前のことが好きなんだよ、一森」
人生で一度も言われたことのない、親にさえも言われたことのない言葉。
まるでネジが外れてしまったみたいに、あふれる涙をとめることができない。
「だからお前の喜ぶことをしたい。俺の隣にいて安心してもらいたい。お前の……一森の笑った顔が見たい」
「寮、長さん」
「好きだ、一森」
そのまま俺たちは、まるで子供のような触れるだけの口付けを交わした。
その後は人生初の花火を経験した。
様々な色の火花が暗闇で光ったり。
ただ大きな音をたてるだけのものもあったり。
色のついた煙を出すだけのものとか。
まるでヘビのようにただ伸びていくだけのものとか。
とても、楽しかった。
心からこんなにも笑ったのは何年ぶりだろうか。
寮長さんの隣にいると安心するだけじゃなくて、胸の奥が熱くなる。
最後の線香花火は二人でやることにした。
小さな火の玉がジリジリと火花を散らしていく。
「……寮長さん」
「ん」
「俺、あのとき寮長さんに拉致られてよかったです。じゃないときっと俺、この学園からも、この地球からもいなくなってたと思うんで」
可愛らしく、それでいて儚く花を咲かせる線香花火から寮長さんへと顔を向けると、彼も俺を見ていたらしく目が合った。
そんな彼へと自分から顔を寄せては、唇が触れる直前に口を開く。
「俺も、寮長さんが好きです。出会えてよかった」
彼がなにかを言おうと口を開きかけたが、それよりも先に唇を塞いでやった。
初キスは、煙草の味がした。
（終）
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