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 いつの間にか意識を飛ばしてしまっていたらしく、金属音が擦れ合う音で目が覚めた。
 なぜか重い両手首へ顔を向けると、両腕は手錠によって一つにまとめられ、紐で手錠とベッドが繋がれていた。
 思わず目を疑った。


「な、んだこれ」


 口から掠れた声が放たれれば、昨日の出来事を思い出しサッ、と顔が青くなる。

 昨日はいつも通り雅俊先輩と裕翔に助けてもらったあと、先輩の部屋で治療してもらった。
 治療が終われば晩飯の時間だからと自分の部屋へ戻り、同室の鮫島が作った料理を二人で食べた。
 シャワーを浴びて、先輩の部屋へ戻ろうとしたときにいきなり体が熱くなって、そのまま引きずるように鮫島の部屋に連れて行かれたんだった。
 そしてそのまま──。


「浩樹」


 聞こえてきた声にビクリ、と肩が大きく揺れた。


「さめ、じま」


 いつものオタルックスとは違い、眼鏡を外し長い前髪を持ち上げピンでとめている鮫島がとびらの前に立っている。
 前髪が邪魔でわからなかったけど、意外に顔、整ってるんだな。

 余裕があるわけではないのだが、そんなことを考えていると鮫島が俺の体に乗りかかってきた。
 重みと、昨日の出来事を思い出し思わず顔がゆがんでしまう。


「浩樹、そんな顔するなよ。昨日は仕方なかったんだ。浩樹が悪かったんだ」


「なに、を」


「浩樹が俺を置いて行こうとするから。あんな風紀委員のところなんかに行こうとするから」


 訳が分からない。


 昼間、いつも俺を置いて行くのはお前のほうだろ。
 そもそも、晩飯を食べた後に雅俊先輩の部屋に行こうとするのは昨日が初めてじゃなかったはずだ。


「忘れたのか? 昨日は……俺と浩樹が出会ってちょうど一ヶ月だったのに」


「覚えてるわけ、ないだろ」


「なんで、なんで忘れるんだよ! 俺は覚えてた。きっと浩樹と一緒に祝えるんだって、いつも我慢してたんだから今日くらいはずっと俺といてくれるんだって、そう思ってたのに!」


「そんなの、お前が勝手に──」


 いきなり強く首を押さえつけられてしまったため、言葉を続けることができなくなった。
 呼吸ができず、両手首を縛っている手錠がガチャリと大きな音を立てた。
 顔が熱くなってくることがわかる。


「俺はずっと浩樹のことを考えてたのに、浩樹の中の俺はそんなもんなんだ」


「か、はっ」


 腕が、体が痙攣し始める。
 それでも首にまわされている手の力が緩められることはない。


 あぁ、このまま死ぬのも悪くないかもしれない。


 どうせ俺は先輩を裏切ったんだ。


 意識が朦朧としてきたとどうじだった。
 とびらの蹴破られる音が部屋に響き渡れば首にまわされていた手が離れ、肺に酸素が取り込まれ思わずむせる。


「ひろきッ!」


 聞き慣れた声が、心地のいい腕が俺の体を包み込む。
 ぶちり、という音が聞こえたほうを見てみると、手錠とベッドを繋いでいた紐が千切られていた。
 俺を包み込んでくれた雅俊先輩が千切ってくれたのだろう。


「あー、委員長ぉー。ドア壊してぇ……生徒会を説得するの大変──」


 そこまで言いかけたかと思うと息の呑む音が聞こえ、どうしたのかと雅俊先輩の腕の中から顔を向けてみると、珍しく裕翔が青ざめていた。
 というより、裕翔のそんな表情を見るのは初めてだ。


「……浩樹ぃ、こっちにおいでー」


「一体どうし──」


「いいからぁっ、早く、こっちにッ!」


 口調が変わってしまうほどに切羽詰まっている様子の裕翔に目を大きく見開けば先輩へ視線を移すが、『早く、浩樹だけで』と言われてしまえば、俺を抱きしめた体勢のままピクリとも動くことのない先輩の腕から抜け出し、足音を立てないよう裕翔の元へ。
 裕翔が手錠で縛られている俺の腕を強く掴んだかと思うと、そのまま痛いほどに引っ張り廊下へ出る。
 勢いよくとびらを閉じたかと思うと、どこへ向かっているのか走り出した。


「ゆ、裕翔! なにがあったんだよ!」


「このままだと、危険だ。今、あの人のそばにいるのは危険だ」


「だから、説明してくれよ!」


 未だ俺の腕を引っ張り続ける裕翔の手を振り放すと、彼は慌てたように俺を見た。


「あの人が本気でキレたら見境がなくなるんだよ! もしかしたら浩樹まで殴られるかも──」


 そこまで言いかけたときだった。
 俺の腕を掴み、再び走り出そうとした裕翔は今、なぜか床に倒れている。
 まだ意識があるらしく、震える腕を伸ばしてきた。
 が、その腕は何者かによって踏みつけられた。
 苦痛の声を上げる裕翔から腕を踏みつけている人物へ顔を向けると、その人物は雅俊先輩だった。


「浩樹……」


 俺の名前を呼ぶ声に、頬に触れる手になぜだかゾッとした。


「もう大丈夫だ。浩樹に手を出すやつは全部ぶっ潰してやろう」


「せん、ぱ……」


「あの編入生はもう動かなくなったから大丈夫だ。次は親衛隊をちゃんとまとめない生徒会を潰さないとな」


 ゆがんだ笑みを浮かべる先輩の拳は真っ赤に染まっており、うっすらとだが彼が着ていた制服に返り血が付いていた。
 喉が涸れ、言葉を放つことができない。


「ひろ、き……逃げろ」


 未だに腕を踏みつけられているというのに、そんなことを言う裕翔に思わず顔がゆがむ。


「一ヶ月……一ヶ月経てば、この人も落ち着くから──」


 裕翔の体が吹き飛んだ。


 まるで人形のように倒れた裕翔は、もう動くことも言葉を放つこともなかった。
 俺に『一ヶ月』と言葉を放ち、雅俊先輩に蹴り上げられてしまった。

 いつでもそばにいたのに。
 呆れてはいたが、嫌ってはいなかったはずなのに。
 同じ風紀委員、『仲間』だったはずなのに。
 見境がなくなっているというのは、本当のことだったのか。


「……浩樹」


 雅俊先輩が名前を呼び、振り向く前に俺は走り出した。
 追いかけてくる足音、叫び声に自分の体は大きく震えた。

 裕翔を置いていくことは心苦しかったが、とにかく今は校外に逃げ出したかった。
 先輩のいない場所で一ヶ月が過ぎるのを待ちたかった。
 裕翔の話によると、一ヶ月が経てば先輩は落ち着くらしいから。

 でも、この話はここで終わらない。


 そう上手くいくはずがなかったんだ。


 鮫島の手によって絞められた首が、なぜか無性に痛かった。




  (終)