「さーかーきーくん」


 また来た。

 俺のなにが気に入ったのか、あの日から雄哉さんにつきまとわれている。
 声の聞こえたほうへ顔を向けると、開かれている窓の外で楽しそうな笑顔を浮かべている雄哉さんの姿が。


 ……窓の外?


「ちょ、なにやってるんですか! ここ五階ですよ!?」


 どこから繋がっているのか、とりあえず部屋の中にとロープにぶら下がっている彼の腕を慌てて掴む。
 とどうじにブチリ、と鈍い音が俺の耳にまで聞こえてきた。
 顔を上げてみると雄哉さんを支えていたロープがものの見事にちぎれていた。


「お」


「ど、わぁあああっ!」


 そうなると必然的に彼の腕を掴んでいる俺に全体重がかかってしまうわけで。
 俺よりも身長が高く、体つきのいい雄哉さんはやはり重い。
 一瞬このまま落としてやろうかとも考えたが、ここが五階だということを思い出せばその考えを捨て、手に力を込める。


「榊くん。大丈夫だから手、離せ」


「なにを、言ってるんですか。大丈夫なわけがない! 絶対に離さない!」


 目の前で人を見殺しにするなんて、そんなことできるはずがない。
 しかも顔見知りだからなおさら。

 とにかく引き上げようと両手で彼の腕を掴んだとどうじだった。


「……へ」


 ずるり、と嫌な音を立てながら自分が引っ張られていることに気づいたときにはすでに遅く、俺も雄哉さんと同じように外へ放り出されていた。


「榊くん!」


 また落ちてる、なんて考えていると耳に入った名前を呼ぶ声に、まるで俺を包み込むように伸ばされた腕に強く瞼を閉じる。
 と、強い衝撃が俺たちを襲い、思わず顔がゆがんだ。
 だが、あのときのように意識を飛ばしてしまうわけでもなく、体に痛みが走るわけでもなく。
 恐る恐る瞼を持ち上げてみると、すぐ近くには雄哉さんの整った顔が。
 辺りへ視線を移してみると、どうやら木の上に落ちてしまったらしく辺りは緑で埋め尽くされていた。


「榊くん、大丈夫?」


「あ、大丈夫です。って、なにしてくれるんですか!」


「やー、榊くんの驚く顔が見たくて」


「……それだけのために落ちて怪我なんてしたら元も子もないですよ」


「大丈夫大丈夫。怪我はしてない」


 そういう問題じゃない。

 なんてことを考えるが人のことを言えた立場ではないため口を噤む。
 と、木の下に誰かが走ってきたことに気がつき見下ろしてみると、肩で呼吸をしている院長さんが俺たちを見上げていた。
 睨むようなその視線に、思わず小さく息を吐き出してしまう。


「高鷲! またお前はっ」


「あーあー、今回は大丈夫だったって。怪我はしてない」


「……怪我を、していない?」


 驚いているような声に小首を傾げながら雄哉さんへ顔を向けると、目が合った。
 かと思うとやわらかく微笑まれたため、釣られて笑い返す。


「榊くん、今日の夜ヒマ?」


「入院してるだけなんで暇ですけど……って、まさか」


「一緒に行きたいところがある」


 また抜け出す気か!





 まあ、この俺に断ることなんてできるはずもなく、雄哉さんに連れられ俺は自分が飛び降りた屋上へと来ている。
 夜空を見上げてみると満天の星空で、あのときもこんな空だったんだろうか、なんて考える。


「雄哉さん」


「ん?」


「あのときずっとここにいたんですか?」


 気になっていたが、今まで聞き出す機会のなかったことを問いかけてみると、彼は緩く笑いながら頷いた。

 ということは、俺の独り言も聞かれてたってことか。
 恥で少しだけ熱くなった頬を指先で掻きながら視線を星空へ戻す。


「……なんで今日、ここに連れて来たんですか?」


 星空を見つめたまま問いかけると、雄哉さんが隣に腰を下ろしたことに気づく。


「榊くんはさ、死ねない人間?」


 突然、問われた言葉の意味が理解できず、変な顔になってしまった気がする。
 そんな俺に気づいたらしく、彼は慌てたように『違う違う』なんて言った。
 なにが違うのか、それすらもよくわからないんだけれど。


「また失敗したって呟いてたからさ」


「ああ……そうですね」


 人生で三度、自殺を試みた。
 そしてその三度とも失敗に終わった。
 死にたくても死ねない人間。
 運が悪いのか。
 それとも逆に、運がいいのか。


「俺は、死にたくないのにいつも死にそうな目に遭う」


「俺と真逆なんですね」


「そう。それに今日、木の上に落ちて思った」


 雄哉さんがこちらに顔を向けたため、彼の横顔を見つめていた俺と目が合う。


「なにかがあるたびに怪我してた俺が今回怪我しなかったのは、榊くんがそばにいたからだって」


「雄哉さん……」


「榊くんがそばにいてくれたら、普通の人間になれる気がする」


 それはつまり、雄哉さんのそばにいたら俺も普通の人間になれるということか。
 死ねない人間なんかじゃなくて、普通の、人間に。

 魅力的だった。


「俺、雄哉さんのそばにいてもいいんですか?」


「いい悪いじゃなくて、俺たちは一緒にいるべきだと思うぞ」


「もしまた嫌なことがあったら今度こそ俺、死ぬかもしれないですよ?」


「そばにいる俺がとめる」


 雄哉さんの男らしい手が俺の手の甲に重ねられる。
 温かいその手を振り払おうとは思わなかった。
 むしろ逆に、初めて名前を呼んだときのように胸が温かくなる。


「雄哉、さん」


「ん?」


「俺、雄哉さんのそばにいたい、です」


「ん」


「別に死にたいわけじゃない。ただ、雄哉さんがそばにいてくれると胸が温かくなるから……それが、なんなのか知りたくて」


 そういうのに疎いわけではないのだが、ただ確信が持てなかった。
 だから、そばにいたらいつかこの気持ちを信じられるんだろうって。


「……榊くんって、可愛いよな」


「い、いきなりなんですか」


「んー、なんとなく?」


 グシャグシャと俺の頭を撫でる雄哉さんの手に胸が高鳴ったのには、まだ気づかないフリをした。



 死ねない人間と死にかける人間が出会ったとき、欠けたピースは埋まり不完全だった二人は完全となる。
 きっと俺たちはもう離れられない。


「離れる気なんてサラサラないけど」


「ん?」


「あ、なんでもないです。というか、院長さんが追って来てるんですけど」


「またかよ……」


「高鷲、てめぇぇええ!」


「逃げるか」


「え。って、また窓からですか!?」


「死にはしない」


「確かにそうかもしれないですけど、でも普通になったから怪我はするかも──ぎゃぁぁああ!」


 問答無用、とでも言いたげに俺を抱え窓から飛び降りるその行動に、思わず叫び声を上げてしまった。
 それでも奇跡的に怪我すらしなかった俺たちは、共にあの場所へと向かう。
 不完全な俺たちを引き合わせてくれたあの屋上へと。


「ずっと、そばにいてくれよ?」


「当たり前じゃないですか」


 だからどうか、変わらない日々をこれからも。




  (終)