シロクロ番外編〜BANGAI〜


 青木葉さんの手を握った時点で、俺の運命は決まっていた。
 周りから裏切り者と言われ、赤嶺は意味深な表情で俺を見る。
 そして一番会いたくて、名前を呼んで欲しかったあの人は今も俺のことを忘れたままあのチームの中心にいる。
 記憶を取り戻すことは不可能に近い、あの人担当の医師は俺にそう告げた。




  ようこそ、孤独




 あれから学校に行くことも、病院に行くこともなくなった。
 青木葉さんの住んでいる部屋のベッドで、膝を抱えたままずっと丸くなっている。

 希望もなにもないこの世からおさらばするのも、いいかもしれない。
 いや、でもそんなことをしたら青木葉さんに迷惑がかかるか。

 そんなマイナスなことばかりが頭を埋め尽くしていた。


「黒滝くん、入るよ」


 聞き慣れた声がとびらの向こうから聞こえた。
 それでも俺は動くことはせず、腕に顔を埋めたままとびらの開かれる音を聞いた。
 近付いてくる足音はやがて俺のそばでやみ、次いでベッドの軋む音が聞こえた。


「……黒滝くん」


 子供に語りかけるような、優しい声だ。


「俺はわかってるから」


 胸の奥にストン、と言葉が落ちてくる。


「本当はつらくて泣きたいことも、みんなのところに戻りたいって思ってることも。ちゃんとわかってる」

「……青木葉さん」


 久しぶりに出した声は、まるで蚊が鳴いたように小さく、それなのに彼は反応してくれた。


「青木葉さんは、優しいな」


 腕に埋めていた顔をずらし、横に座っていた青木葉さんを見ると、彼は一瞬だけ驚いたように目を開いたあとやわらかく笑った。


「下心があるからだよ」


 彼のあたたかな手が俺の左頬を包み込む。
 親指の腹で目尻を撫でられると、くすぐったい。


「……今なら、いい」

「そんなこと言ったら駄目だよ」

「いいんだ。青木葉さんには感謝してる」


 膝の上に置いたままの右手のひらで頬に添えられたままの彼の手を包み込むと、ピクリと小さく動いたことがわかった。


「後悔するよ」

「するかもな。でも、俺がして欲しいんだ」


 そこまで口にした瞬間、頬に添えられていた手が俺の肩を突き飛ばしベッドへと沈めた。
 顔を上げると、眉尻を下げ困ったように俺を見下ろす青木葉さんがいた。


「黒滝くんが後悔しないように言っとく。黒滝くんは無理やり犯された。合意なんてなかった。青木葉は、やっぱり最低なやつだ」


 まるで自分に言い聞かせるように、俺の着ていたスウェットを脱がせる姿になぜだか少しだけ泣きたくなった。






 全てが終わり、夜中にふと目が覚めた俺は体を起こしベッドから下りようとするが、隣で横になっていた人物の存在に気が付きなんとなしに顔を覗き込んでみる。
 小さな寝息を立てながら気持ちよさそうに、それなのに目尻からこぼれていた涙に思わず手が伸びた。
 指の腹で涙を拭い、そのまま流れるように彼の薄い唇に触れる。


「……なんであんなこと言ったんだよ」


 今ならいいって、俺がして欲しいって言ったのに。
 結局俺は、青木葉さんを傷付けた。


「あんたの言葉が嬉しかったのに、それなのに俺はあんたを……あんたを、傷付けることしかできない」


 顔を寄せ、唇を重ね合わせた。
 深くすることもなく、まるで幼稚な口付けをした俺はベッドの下に落ちていた黒のシャツに腕を通し、ベッド脇の棚の中から自分自身の携帯と財布を手に取った。

 名残惜しいけれど、仕方がない。
 きっと俺がここにずっといても、青木葉さんを傷付けるだけだ。


「……ありがとうな」


 青木葉さんは俺のことをわかってくれた。
 それだけで生きる勇気が湧いてくる。

 寝室を出るさい、俺は眠ったままの青木葉さんを見てから一度だけ笑った。
 これからどこへ行くのか決めていない。
 けれど青木葉さんも赤嶺も、あの人もいないところへ行こう。
 そこでまたひっそりと、情報屋として活動していこう。

 そう、誰の目にも触れないところで。




  (終)