只今、水道工事中




 トキオとカナエと俺が三人で暮らし始めて数日経ったある日。


「タマキ、今日の風呂どうする?」


「どうするって?」


 ソファに腰を下ろしているカナエの隣で一緒にテレビを見ていた俺は、突然のトキオの言葉に小首を傾げ、食べていた煎餅を口にくわえたまま彼へ顔を向ける。

 と、彼は呆れたように苦笑いを浮かべながら小さく肩を持ち上げた。


「水道、工事してるから水出ないらしいよ」


 大して面白くもないテレビにくぎづけになっているカナエが口を開いたかと思うと、そんなことを言ってきた。

 初めて聞いた話に、目を見開きながら思わず勢いよく立ち上がる。


「そ、そうなのか? てかそんな話――」


「マスターから紙もらっただろ。読んでなかったのか?」


 そう問いかけられると言い返すことができなくなる。


 一週間前、買い物から帰ってきたときにマスターから確かになにかを受け取った記憶がある。

 けれどお腹が空いていたからと受け取ったそれに目を通す前にご飯を作り、そのまま忘れてしまったような。


「タマキ君、最近忙しそうだったから仕方ないですよ」


 俺をフォローしてくれるカナエの言葉に内心、謝罪をしては話を戻すために口を開く。


「ということは風呂に入れないってことだよな?」


「まあ、普通に考えてそうなる。けど、お兄さんにいい案がある」



 銭湯に行こう。



 くわえていた煎餅が音を立てて落ちた。




――――

「銭湯とか初めてだな」


 脱いだ服をカゴに放り込み、タオルを腰に巻いた俺たちはシャンプーなどを手に濡れた床をぺたぺたと歩いていた。

 トキオはさっさと服を脱ぎ、さっさと入りにいってしまった。

 周りを見渡してみるとすでに湯に浸かっているらしく、遠くに見慣れた後ろ姿が見えた。


「そうなのか?」


「うん、今まで入る機会とかなかったからさ」


 興味深そうに、先ほどの俺のようにキョロキョロと辺りを見渡しているカナエに小さく笑っては、さっさと洗ってしまおうと入り口近くに置かれていたプラスチック製の椅子を手に適当なシャワーの前へと座った。

 お湯を出して、頭を洗って。


「背中洗ってやろうか?」


「あ、助かる……って、トキオ?」


「はーい、トキオお兄さんだよー」


 濡れた顔をタオルで拭き、水に濡れて真っすぐになった自分の髪に触れながら声の聞こえたほうへ顔を向けると、先ほど湯に浸かっていたはずの顔がすぐ後ろにあった。

 茶目っ気たっぷりにウインクをしてきたかと思うと素早く俺からタオルを奪い、俺に口を開かせるよりも先に奪ったタオルで背中を擦ってきた。


 上から下に、力が弱いわけでもなく強いわけでもなく、ちょうどよくて気持ちがいい。

 その気持ちよさにウトウトし始めたときだ。

 隣から微かに殺気を感じ取った俺は勢いよく隣へと顔を向ける。

 と、頭を洗ったのかふわふわのココアブラウンの髪は濡れ、いつものやわらかい微笑みを消したカナエが俺の後ろにいるトキオを見つめていた。


「……カナエ?」


 なにかあったのかと心配になり、名前を呼んでみると彼は驚いたように微かに目を見開きながら俺を見た。

 かと思うとすぐにいつもの微笑みを浮かべながら『なんでもないよ』と言った。


「タマキ、タオル取れよ。下も洗ってやるから」


「は?」


 よくわからないカナエの反応に小首を傾げては、突然、聞こえてきたトキオの言葉に思わず耳を疑った。


「いつも洗ってやってただろ? ほらほら、恥ずかしいなら俺がタオル取ってやるから」


 コイツは本気だ!


「べ、別にいい! 自分で洗える!」


 タオルを取られることが嫌なわけではない。

 ただ下に触られることが嫌なだけだ。


 俺の下半身を隠しているタオルを引っ張られ、慌ててタオルを掴むが引っ張る力を緩めてくれない。


「トキオ! ふざけ、る……な」


 一度、頭を殴ってやろうかと握りこぶしを作りながら後ろを振り向くと、そこに広がっていた光景に思わず何度か瞬きを繰り返した。

 一体どこから取り出したのか、腰にタオルを巻いたまま立ち上がっているカナエの手には愛用の自動拳銃が握られていた。


「トキオさん、いい加減にしてください」


 そう言ったカナエは満面の微笑みを浮かべていた。

 けれどその背後に黒いオーラが見えるのは気のせいではないだろう。


「まあまあ、そう怒るなって。ただの冗談だろ」


「とか言いながらタマキ君に抱きつくのはやめてください」


「……またか」


 ギャイギャイと騒いでいる二人を尻目に、素早く体を洗い流してはペタペタと足音を立てながら近くの湯へと足先からゆっくりと浸かっていく。


(俺たち以外に誰もいなくてよかったな)


 拳銃を振り回しているカナエを見られたら警察ものだ。

 とか思ってる俺たちも特殊部隊なわけだけれど。

 上層部からお怒りの声をもらいそうだ。


 タオルを巻いてはいるものの裸のまま騒いでいる二人に苦笑いを零しては、深く息を吐き出しながら肩まで浸かった。




――――

「かんぱーい!」


 瓶と瓶のぶつかり合う音、三人の声が響く。

 そして口の中にはキンキンに冷えた牛乳の味が広がっている。


「銭湯といったらこれだな」


「そうだよな。って、なんでトキオだけビール飲んでんだよ」


 そうツッコミを入れた俺の視線の先は、トキオの手に握られた茶色の瓶だ。

 どこからどう見てもビールにしか見えないそれに、俺は眉間に深く皺を寄せながらヘラヘラと笑っている目の前の彼を睨む。


「カナエも飲んでるぞ」


 笑いながら放った彼の言葉、指のさされたほうへ勢いよく顔を向けると、彼の言う通りカナエの手にはトキオが手にしているのと同じ色の瓶が握られていた。

 口も開かずに睨むようにその瓶を見つめていると、そんな俺の視線に気がついたのかカナエが慌てたように口を開いてきた。

 が、彼になにかを言わせるよりも先に俺が言葉を放つ。


「お前だけは信じてたのに!」


『もういい!』と、まるで子供のような声を上げては振り向き、少しだけ離れた場所に置かれていたマッサージチェアへと腰を下ろす。

 スイッチを入れると俺の肩をほぐしてくれて、とても気持ちがいい。


 カナエへの怒りはどこへやら、牛乳瓶を手にしたまま俺は『うーうー』と一人で声を上げた。


「お、足ツボマッサージだって」


 ピッ、という音とどうじに俺の足の裏に強烈な痛みが走る。


「だあああ! 折れる!」


 伸ばしていた両足を引っ込め、椅子の上で体育座りになりながら声の聞こえたほうへ顔を向け、そこに立っていたトキオを涙目になりながら睨む。


「あ、強にしてた」


 なんて言いながらウインクをした彼に殺意を抱いたのは言わないでおこう。


「タマキ。なんでタマキだけ牛乳なのか教えてやろうか?」


「理由があるのか?」


 もしかして、俺がホットミルクをよく飲むから――。


「身長が伸びるといいなっていう、お兄さんからのプレゼン、ト……げふっ」


「はっ」


 思わず本気でぶん殴ってしまった。

 まあ、寸前で避けたからそれほどのダメージではないだろう。


 痛みのせいで未だに痺れている両足にピクリと微かに眉を揺らしてはマッサージチェアから立ち上がり、お腹を抱えながらうずくまっているトキオの横をすりぬけ、一人で寂しそうに木製の背もたれのない椅子に腰を下ろしていたカナエの背中をぽんっと軽く叩く。


「そろそろ帰るか」


「タマキ君……」


 未だにビール瓶を手にしているカナエが驚いたように目を見開きながら俺を視界に入れたかと思うと、困ったように笑いながら目を伏せ、俺の名前を呟いた。

 よくよく見てみると、彼が手にしているビール瓶の栓は閉じられたままだ。


「飲んで、ないよ」


「なんで……」


「タマキ君が牛乳飲んでたのわかってたから。だから、帰り道に半分こしようかなって」


 顔を上げながら『迷惑だったかな』なんて笑う彼からビール瓶を奪い取っては、ビールや牛乳などが入っている小さな冷蔵庫に紐で吊されていた栓抜きで栓を抜き、中身を喉へ流し込んだ。

 ずっと彼が握りしめていたからか、生ぬるい。

 決して美味しいとは言えないそれをだいたい半分まで飲んでは、残り半分を謝罪の言葉と一緒に彼に押し付けた。


「勘違いしてた。てか、それくらいでお前も拗ねるなよ」


 ベシッと彼の背中を叩いてやると『ぐえっ』なんて蛙が潰れたような声を上げた。

 かと思うと押し付けられた瓶を握りしめ、嬉しそうにふわりと微笑んだ。


「楽しそうだなあ。お兄さんも混ぜてよ」


「さてカナエ、帰るか」


 ほんわかした空気を破るかのように、いきなり俺とカナエの間に顔を覗かせてきたトキオの言葉を耳にしては、俺はなにも気がつかなかったかのように立ち上がりカナエに声をかける。


 戸惑いながらも返事をしてくれたカナエ。

 わざとらしく抗議の声を上げるトキオ。

 そんな目の前の幸せに俺は一人、微笑んだ。




  (終)





「で、いつ工事終わるんだ?」

「一週間を予定してるとさ」

「それじゃあこの一週間は銭湯通いですね」

「そうなるな。タマキ、明日は下も洗ってやるからな」

「……トキオさん」

「冗談だって。その拳銃下ろせ」

「そうだ、明日はカナエに背中洗ってもらおうかな」

「えっ」

「お、いいな。じゃあ俺はタマキの前を――」

「二人だけで行こうな」

「(トキオさん気の毒だ)」