無計画旅行




 誰もいないところに行きたい。


 彼はそう言った。




――――

「本当に誰もいないなー」


「しかも見事になにもない、ね」


 動物くらいはいるんだろうか。

 無人島だと言われている島へやってきた俺たちは、森と海と浜辺しかない光景に『ほー』と声を上げていた。


「……よし、まずなにする? 隊長たちには明日の朝に迎えに来るように言ってあるから時間はそんなないぞ?」


 大きく伸びをしながらそう言葉を放つと、俺の隣でぼんやりと雲一つない青空を見つめていたカナエが慌てたように俺の手首を握り、走り出した。

 いきなり走り出したため驚き、少しだけ崩れてしまったバランスを整えながら彼のあとをついていく。


「カナエ! どこに行くんだよ!」


「わかんない!」


 走りながら会話をしているせいか自然とお腹に力が入り、大きな声が出てしまう。

 それはカナエも同じらしく、彼にしては珍しいほどに声を上げながら返事を返してくれた。


「どこに向かってるのかわかんない! けど、誰もいないっていうのがすごく楽で、タマキ君と二人きりっていうのが嬉しくて!」


 そこで言葉を切ったかと思うと足の動きをとめたため、釣られるように自分も走ることをやめる。

 肩を小さく揺らしながらこちらに顔を向けた彼の表情は、今までに見たことがないほどに笑顔で、眩しかった。


「このまま、消えてもいいって思った」


「カナエ……」


 俺よりも大きなカナエの手が俺の頬に触れたかと思うと、重ね合わせるだけの口付けを落としてきた。

 唇を離せば俺たちは笑い合う。


「タマキ君、好きだよ」


「俺も、好きだ」


 お互いの気持ちを確かめ合い、もう一度口付けを交わそうとしたとどうじだ。

 突然、自分のお腹が大きな音を立てたため驚き、勢いよく彼から距離を置いては両手で自分のお腹を押さえる。


「……タマキ君」


「言うな! なにも言うな!」


 恥のせいか、すごく顔が熱い。

 赤くなっているであろう顔を見られないように慌てて彼に背中を向けるが、彼の腕が背中から伸びて、そのまま俺の体を優しく抱きしめてきた。


「タマキ君。俺、お腹空いてきちゃった」


「……仕方ないな。じゃあ、隊長から渡された荷物でも見てみるか」


『食べ物でも入ってるかもしれないし』と、俺の体を抱きしめているカナエの手を握り締めては、元々いた場所へ向けて歩き出す。

 俺の後ろをついてきているカナエが小さく笑ったような気がするが、気にしないことにしよう。




――――

「……冗談だろ」


 そう呟いた俺の視線の先には、隊長から受け取った真っ黒なバッグがある。

 中にはナイフにライター、そして釣竿に餌であろうものが入っていた。


「自給自足?」


「みたいだな」


 横からバッグの中を覗き込んでいたカナエの言葉に頷いて見せては、小さな溜め息をもらす。


 今頃、俺たちの反応を想像しては笑ってるんだろうな。


 そんなことを考えながら再び溜め息をもらしては、バッグの中の釣竿、餌を手に立ち上がる。


「タマキ君、釣りしたことあるの?」


「ない」


 問いかけにはっきりと言葉を返すと、カナエが困ったように笑ったことがわかった。

 それでも釣りの準備をしようと餌として使われる小エビを針に刺し、それを海へ放り投げる。

 気持ちのいい風が吹く中、しばらくぼんやりと海を見つめていれば竿が小さく反応をしたことがわかり、慌ててリールを巻き上げる。

 と、針の先に引っ掛かっていたのはただの長靴だった。


「……タマキ君、変わろうか?」


 しばらく長靴を見つめていたカナエの放った言葉に、一度、強く竿を握り締めては首を左右に振る。


「絶対、大物釣ってやる。それでカナエをびっくりさせてやる!」


「……うん、楽しみにしてる」


 まるで子供のような言葉を放つ俺に小さく笑っていたかと思うと、俺の好きな微笑みを浮かべながらそう言葉を放ってきたため、期待に応えられるようにと気合いを入れては餌の付けられた針を再び海へ投げた。




――――

「……ごめんな」


「え?」


 集めた枝にライターで火を付け、ゆらゆらと揺れている炎を見つめながらいきなり謝罪の言葉を口にした俺に驚いたのか、カナエは微かに目を見開きながら俺を見た。


「本当は鮎とか釣りたかった。なのに釣れたのはヒラメだけでさ……期待に、答えたかったのに」


 細長い枝の形をナイフで整え、海の水で土を落としてから内蔵などを取り除いたヒラメをその枝に突き刺し、それを炎の近くの砂へと差した。

 一応塩焼きだが、なにやら魚を間違えているような気がする。


「この辺じゃ仕方ないよ。もっと深いところじゃなきゃ。……俺もそういうこと先に言っておけばよかったね、ごめんね?」


「カナエが謝る必要はない」


「でも」


「いいんだ」


 言葉を続けようとしてくる彼に首を振り、眉を下げたまま力無く笑いかけてやる。

 と、彼も小さく笑い返してくれた。


「そんなことよりほら、カナエが採ってきてくれた果物、美味いぞ」


 俺が釣りをしている間に採ってきてくれたのだろう。

 手の平サイズの、リンゴや桃とは違う見たこともない赤い果物にかじりついては、口の中に広がった甘みに満足に頷き、そう言葉を放ってやるとカナエは先ほどよりも嬉しそうに笑ってくれた。




――――

 日が沈む。

 辺りが少しずつ暗くなって、明かりもないこの島は最後には暗闇になる。

 俺よりも少しだけ前で座り込み、沈んでしまった太陽を見つめているカナエがなにを考えているのかわからない。

 聞いてみるなんて、そんな空気の読めないことはできないし、そもそもしたくない。

 だからこそ俺は履いていた靴を靴下と一緒に脱ぎ、海に足をつけては蹴り上げ、水を飛ばしてやった。

 驚いたように俺の名前を呼ぶ彼の声にうっすら笑みを浮かべては、今度は両手で水をすくい顔目掛けてかけてやった。


「タ、タマキ君……」


「あれ、カナエどうしたんだ? ビショビショだぞ」


 笑みを浮かべたままわざとらしくそう声をかけてやると、なにを考えているのか、口も開かずに俯いたままゆっくりと立ち上がった。

 そんな彼の反応に怒らせてしまったかと心配になれば、彼に一歩だけ近づき濡れた彼の髪を持ち上げてやろうと手を伸ばす。

 が、伸ばしたその手は、別に伸ばされた手によって手首を掴まれたため彼に触れることができなくなった。

 なにかを確かめるかのようにしばらく俺の手首を親指で撫でていたかと思うと、特になにかするわけでもなくその手は離れた。

 かと思うとゆっくりと持ち上げられ、俺の肩に触れる。


「カナ――うわっ」


 一体なにをしたいんだと、名前を呼び終える前に触れられた肩を強めに押されてはバランスを崩し、背中から海へと飛び込んだ。

 といっても浅いところだったため流されることもなく、全身ビショビショになりながらも目を擦っていると、影が自分を襲ったことがわかったため顔を持ち上げる。

 と、息がかかるほどの距離にカナエの顔があった。

 そのことを理解したときにはすでに遅く、目を閉じる暇も与えずに彼の唇が俺のを塞いだ。

 突然のことに驚いたように一瞬だけ目を見開いてみせるが、特に拒む必要もないので両腕を伸ばし彼の首へと絡めてやる。

 啄むような口付けを繰り返しては次第に深くなり、徐々に体の熱が上昇し始める。


「タマキ君……」


 切なげに俺の名前を呟いた彼と目を合わせては小さく頷いてみせ、俺たちは闇と一緒に溶け込んだ。




――――

 ヘリの音が少しずつ近づいてくる中、俺たちは手を繋ぎながら青空を見上げていた。


「一泊二日の旅行はどうだった?」


 流れる白い雲を眺めながら放った俺の言葉に、カナエが一瞬だけ俺のほうを見たことがわかった。


「すごく幸せで。今、ナイツオブラウンドと戦ってるなんて夢みたいだって思っちゃった」


「ん、俺も」


「……ごめんね」


 突然、謝罪の言葉を口にした彼になんのことだと、彼へ顔を向けたとどうじに唇を塞がれた。

 目を閉じる暇もなかったその行為に俺は瞬きを何度か繰り返したあと、耳まで一気に顔を熱くした。


「タマキから離れろおお!」


 カゲミツの叫んでいる声が聞こえた。

 一体どこからだと青空を見渡してみると、俺たちの真上でヘリが飛んでいたことがわかる。

 そのヘリを運転していたマスターと目が合ったかと思うと、爽やかな笑顔で親指を立ててきた。

 そんな彼に釣られて俺も親指を立てる。

 と、それが合図だったのか、俺たちの上を飛んでいたヘリが少しだけ離れた場所に着陸した。


「タマキ!」


「タマキちゃんとカナエ君!」


「ヒカル」


「なんで俺なんだよ。……よ、タマキ」


 みんなが俺たちのほうへ駆け寄ってくる。

 横目でカナエを見てみると、彼は驚いたように目を丸くしていた。

 そんな彼の反応に微かに笑みを浮かべては足を一歩踏み出し、繋がれている手を引っ張ると彼はバランスを崩しながらもついてきてくれた。


「カナエ、好きだよ」


 今、出すことができる一番の笑顔を浮かべながら言葉を放ってやると、彼も今までに見たことがないほど優しい微笑みを浮かべてくれた。

 そして、誰もいないところへ行きたいと寂しいことを言ったその口が、『この部隊好きだな』と嬉しいことを言ってくれた。

 だからお返しに、


「お前が望むならどこへだって連れていってやる」


 なんて言ってやった。




  (終)