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 消毒液のような、ツンとした臭いに俺の意識は浮上する。
 瞼を持ち上げ、辺りを見渡してみると白の世界に俺はいた。
 死後の世界って本当にあったのか、なんて考えながら体を起こすと腕に軽い痛みが走り、思わず眉が寄る。


「てかここ……病院?」


「ピンポーン」


 痛む腕を擦りながら辺りを見渡し、ぽつりと呟くと自分のものではない声が響き渡り驚いた。
 声の聞こえてきたほうへ顔を向けてみると、黒に近い赤紫色をした短髪の男性がドアの前に立っていた。
 一体誰だと思わず顔をしかめてしまったが、格好を見る限り入院患者なのだろう。
 年齢は聞かなくても俺より年上だということがわかる。


「ここ、病院なんですか?」


「見てわかる通り、ここは病院だな」


 ということは、


「また失敗したのか……」


「なにが?」


「おわ!」


 いつの間にか隣のベッドに座っていたため、驚いた。
 そんな俺の反応に喉で笑われ、思わず苦笑いが浮かんだ。


「んや、ちょっとこっちの話です」


「そっか。ビルの屋上から飛び降りた子だと思ったんだけど違ったか」


 わざとらしいと思われるほど大きく肩が揺れてしまった。
 恐る恐る彼へ視線を移してみると、なぜか満面の笑みを浮かべている。

 まさか。
 いや、そんなはずはない。
 だってこの人は病院に入院している。
 あんな真夜中に外にいるはずがない。


「昨日の夜に屋上で会った子だと思ったんだけど」


 外にいたのかよーっ!

 内心、思わずそう叫んでしまう。


「それ、俺だと思います」


「あ、やっぱり? 声かけたのに落ちていったからびっくりしたよ」


「……俺は落ちながら、もっと早く声をかけてくれればと思ってました」


「はは、確かに。でも生きててくれてよかった」


 こちらに腕が伸びてきたかと思うと、がしがしっと強めに頭を撫でられた。
 軽い痛みが走るほどの強さでしばらく撫でられたままでいると、ひょっこりと顔を覗き込まれた。
 整った顔が目の前にあり、思わず息を呑んでしまう。


「高鷲(たかす)! 今度はどこ行ったぁぁああ!」


 突然、辺りに響き渡った声にびくりと肩を大きく震わせると、目の前の男性は苦笑いを浮かべながら息を吐き出した。

 まさか。


「院長は今日も不機嫌だな。ま、俺のせいなんだけど」


「やっぱりあなただったんですか! 早く戻ってください!」


「大丈夫だって。ここの院長、俺の幼なじみだから」


 そういう問題じゃない!
 もし一緒にいるところを見られたら、俺まで院長さんに目をつけられてしまう。
 病院にいてまで誰かに目をつけられるなんて、そんなのはこりごりだ。

 なんてことが相手に通じるはずはないが、睨むようにじっと見つめていると『仕方ないな』なんて言いながら立ち上がってくれたため、安心し思わず表情が緩んでしまう。


「あ、一つだけ」


「え?」


「名前は?」


「……誰の名前ですか?」


「槇本(まきもと)くんの下の名前」


 思わず吹き出してしまいそうになった。


「な、なんで俺の名前知ってるんですか」


「え、病室に書いてあったから」


 なるほど。
 そりゃそうか、と一人で納得してはドアの前に立っている彼が笑っていることに気づけば小さく息を吐き出す。


「……榊(さかき)、です」


「榊くんか。なら俺のことは高鷲じゃなくて──」


 いきなり勢いよくドアが開いた。
 驚き視線を移してみると、白衣姿の黒髪で眼鏡をかけた男性が眉間に皺を寄せながら立っていた。
 大きく肩が揺れているところを見ると、走ってきたのだろう。


「高鷲……テメェ、いつもいつも勝手にいなくなりやがって! 探すほうの身にもなりやがれ!」


「へーへー、そんな怒るなよ。ハゲるぞ」


「誰のせいだ、誰の」


 吐き捨てるように言葉を放ち、高鷲さんの襟首を掴んだ白衣の男性はなにかに気づいたように俺を見た。
 いきなりの視線に思わず背を伸ばしてしまう。


「体、大丈夫ですか?」


「あっ、はい。大丈夫です」


「牧草を積んだトラックに落ちたらしいですよ。本当、奇跡ですね」


「はあ……」


 あまりの変わりように、放たれた言葉にマヌケな返事をしながら引きずられている高鷲さんを眺めていると、彼が俺を見た。


「榊くん! 俺のことは雄哉(ゆうや)って呼んでくれていいからなー!」


「お前、ちょっとは黙れ!」


 姿が見えなくなっても聞こえてくる声に『病院なのに』、と思わず笑いながら真っ白の天井を見上げる。


「……雄哉、さん」


 高鷲さんの名前を呟くと、なぜだか胸が少しだけ温かくなった気がした。