「今日は校舎の周りを十周してもらう」
体育の教師から放たれた言葉に、俺を含むクラスメイト全員がブーイングをした。
二人で怒られました。
「これだから熱血教師は……」
「ひらっち、すげー顔してるけど」
「ひらっちやめろ」
妙なあだ名を呼びながら楽しそうに俺の隣を走る赤髪ウルフカットのこいつは俺の同室者の軽井(かるい)だ。
実はあのあと、頭を冷やすためシャワーを浴び共同スペースの冷蔵庫を漁っていた俺の前にこいつが現れた。
こいつはこいつでまさか俺がいるとは思っていなかったのか、布一枚もまとわず全裸で歩いていて完全なる変態だった。
キャー! なんてわざとらしい声を上げながら、なぜか下半身ではなく胸を隠した姿は今思い出しても不覚にも笑えてくる。
そしてその日からなにかとこいつは俺にくっついてくるようになった。
なにかが気に入ったのか、それともただの気まぐれか。
第一印象が正直ツボだったため、くっつかれるのは嫌ではなかったりする。
「ひらりん、俺たち今何周だっけ」
「…………二周」
「ひらえたん、あと十分しかないけど残り八周いける?」
まだまだ余裕そうなこいつとは違い、すでに俺は息も絶え絶えでサボることも視野に入れていた。
サボるかサボるまいか、ぼんやり考えていた俺に決定打を与えたのは軽井の『八周』という言葉だった。
「サボる」
「まじか」
「まじ。もう無理」
吐き捨てるように言葉を放ちながらすぐ横の校舎を背もたれに俺は座り込んだ。
水分補給をしていないため頭はぼんやりするし息苦しいし。
体育はやっぱり見ているほうがいい。
校庭でサッカーをしている生徒たちをぼんやり見つめていると、先程まで騒がしかった男がいなくなっていることに気づいた。
まさか十周頑張ってるんじゃ、とげんなりするようなことを考えながら再び視線を校庭へと戻す。
ジャージのラインの色からするとあれは三年か。
通りで体格がいいわけだ、と妙なことに一人で納得をしながらボールを目で追う。
どうやらいい戦いをしているみたいでお互いにボールを譲らない見ていて面白い試合だ。
一人がファウルすれすれでボールを無理やり奪ったかと思うと、ゴールに向けてそのボールを高く蹴り上げた。
高く宙を舞ったボールをゴール前にいた一人の生徒がヘディングで決める。
そしてその瞬間、鳴り響くホイッスルの音。
最後にゴールを決めたほうのチームが勝ったようだ。
(さすが三年の試合だなあ)
そんなことを考えながら一人で小さく拍手をしていると、最後にゴールを決めた人がこちらへ顔を向けた。
どこかで見たことがあるような、男の俺から見てもカッコいいその人が口を開いたかと思うと、『サボるな』そう彼の薄い唇が揺れた。
思わず頭を抱えたくなった。
どこかで見たことがある顔だなと思ったら、風紀委員長じゃないか。
いつもの見慣れた制服姿とは違い、ジャージ姿だったからすぐに気づかなかった。
(また説教されるかも)
髪を染め直してからここ数日、真面目に授業を受けていたというのに、サボってしまったときに限って風紀委員長に見つかってしまうとは。
運が悪すぎるのか、はたまた逆に運が良すぎるのか。
すでにこちらから顔を背け、チームの仲間たちと勝利を喜んでいる風紀委員長を眺めながら今からでも走るべきか悩んでいたら、突然の頬への冷たい感覚に体が大きく跳ね上がった。
驚き冷たいソレから体を離し見てみると、ただのペットボトルのスポーツドリンクだった。
そしてそれを手に持っているのは、
「軽井……」
どこに行ったのかと思ったらそれを買いに行っていたのか。
「ひらっち顔色悪かったからね」
呼び方ひらっちで落ち着いたのか、とどうでもいいことを考えながらどうやら俺のために買ってきてくれたらしいスポドリを受け取ろうと手を伸ばすが、なぜか渡してくれない。
それどころかそのキャップを開けたかと思うとこいつが飲み始めた。
「…………おい」
俺のじゃないのか、と言葉を放つために開かれた唇は冷たい軽井の唇によって塞がれた。
そしてそこから流れ込んでくる冷たい液体。
突然のことに思わずそれを飲み込んでしまったが、すぐに顔を背けジャージの袖で唇を強く拭いながら目の前の男の顔を睨んでやる。
そういえばこいつはこういう男だった。
いつもどこかに泊まっては帰ってこない、たまに帰ってきたかと思えば誰かとベッドで遊んでいる。
そういう軽い男だとわかっていたはずなのに油断した。
「俺にはそういうのなし」
「えー」
「えーじゃない」
わざとらしく唇を尖らせるこいつにさらに言葉を続けようとしたその瞬間、すぐ近くで人の気配を感じたためそちらへ顔を向ける。
するとジャージのパンツのポケットへ手を突っ込んでいる風紀委員長が俺たちを見下ろしていた。
「ほ、帆風先輩」
さすがの軽井も風紀委員長は怖いのか、名前を呼ぶ声が上ずっていて思わず笑ってしまいそうになった。
「授業が終わる前に戻るんなら見逃したんだが、さすがに授業が終わるまでここにいたっていうのはなあ」
俺たちを見下ろしたままの風紀委員長の口から放たれるその言葉に、すでに体育の授業が終わっていることをようやく知った。
辺りを見渡してみると確かにこの場には俺たちの三人しか残っておらず、静かだ。
「二人とも、風紀委員室に行くか」
事情をなにも知らない人たちが見たら爽やかなイケメンだ、と思われるであろう風紀委員長の笑顔。
だが俺たちにはその後ろに鬼が見えた。
まるで、逃さないとでも言うように俺たちの肩を掴む風紀委員長の手の力の強さに恐怖で顔が引きつった。
(終)
5.こっち見てましたか。 top