せめて休憩をください。


 自分で言うのもあれだが、最近の俺は真面目に学園生活を送っていると思う。
 遅刻はしていないしサボることだってしていない。
 風紀委員の世話にだってなっていない。
 それなのになぜ俺は今、風紀委員室にいるんだろう。

 風紀委員室の一人用のソファに座っている俺の向かいに、風紀委員長が二、三人用のソファに腰を落ち着けながらじっと俺のことを見ている。
 なにもしていないはずなのだが、自分で気づいていないだけでなにかやらかしてしまったんだろうか。


「平江」


 形のいい薄い唇が俺の名前を呼んだ。


「突然呼び出して悪かったな」

「いえ。……あの、俺これから説教ですか?」


 身に覚えが本当にないため恐る恐るそう尋ねてみると、わずかに目を丸くした風紀委員長が『なぜだ?』と逆に聞き返してきたためどうやら説教ではないようだとほっと息を吐き出す。


「……ああ、そういえばここに平江が来るときはいつもそうだったか」


 俺の考えていたことをどうやら察したらしく、おかしそうにくつくつと喉で笑われ思わず顔が熱くなった。
 その熱を冷まそうと自身の手を団扇代わりに顔に風を当てていると、ソファから立ち上がった風紀委員長が、彼がよく使っているデスクの引き出しから一枚のカードを取り出し俺へと見せてくる。
 なんのカードだろうとぼんやりそれを見つめていた俺は、そのカードの正体に気がつき思わずハッと息を呑む。


「それって、まさか」

「一週間食堂無料」


 噂には聞いたことはあったが本当に存在していたのか。


「最近平江は頑張ってるからな。ご褒美だ」

「お、おおお……」


 差し出されたそのカードを本当に受け取ってしまっていいものか。
 頑張ってる、と言われても遅刻とサボりがなくなっただけで成績がいいわけではないのに。
 むしろこの間まで風紀委員に何度も迷惑をかけていたのに。


「成績はこれから頑張っていけばいい。それよりも遅刻とサボりがなくなったっていうのは本当にすごいことだと思うぞ」


 だから遠慮しなくていい。
 と、そこまで言われてしまえばさすがに断るわけにもいかず、お礼の言葉を口にしながら素直にそれを受け取った。
 マット加工された黒く高級感の漂うそれは、あいつと別れてからの俺のことを認めてくれているようでじんわりと心が温かくなる。
 顔を上げていないため多分でしかないが、今俺の頭を撫でているこれはきっと風紀委員長の手だろう。


「……俺、もっと頑張りますから」

「楽しみにしてる、と言いたいとこだがあまり無理はするな」


 恋人との時間も大切にしろよ、と続けられた言葉に思わず勢いよく顔を上げてしまった。
 突然、顔を持ち上げた俺に驚いたのか、頭を撫でていたであろう手を宙に浮かせたまま風紀委員長は目を丸くしながら俺を見ていた。


「恋人……ですか?」


 あいつとは別れたと伝えたような気がするが、忘れているんだろうか。
 怪訝な顔を浮かべているであろう俺になにを思ったのか、宙に浮いたままの手がなにかを考えるかのように彼自身の口もとに添えられた。


「できたんじゃないのか、恋人」

「まさか。そんなすぐ新しい恋人できるとかどんだけ軽い男なんですか俺」


 沈黙が流れた。
 風紀委員長は考え事をしているらしく、口もとに手を添えたまま俺から視線を外しわずかに眉間にしわを寄せている。

 俺はというと、風紀委員長がなぜそんな勘違いをしてしまったのか考えをめぐらせていた。
 どうして風紀委員長は俺に恋人ができたと勘違いした?
 ここ最近、俺の近くにいる人物と言えば軽井だ。
 俺と軽井はそんな関係ではない。

 ではない…………が。


「キスしてただろ」


 やっぱり見られていた。


「俺が知るかぎりだと二回」


 二回。

 それはきっと、俺たちが校舎の周りを走っていたときと窓から校庭を見下ろしていたときだ。
 確かにどちらにも風紀委員長の姿はあったけど本当に見られていたとは思わなかった。


「ちが、違うんです。アイツとはそういう関係じゃなくて」

「恋人じゃないのにキスするのか?」


 どうして俺はこんなに焦っているんだろう。


「あ、あれはただのスキンシップで。アイツ、スキンシップが激しいから」


 俺が座っているソファの肘置きに風紀委員長が腰を下ろした。
 流れるように背もたれに彼の手が置かれ、縮まる距離になぜだか喉が震えた。


「その割に、窓でのキスは嫌がってるように見えなかったが」


 風紀委員長の男らしい手が俺の頬に触れる。


「あ、アイツが何度もしてくるから慣れて――っ」


 噛み付くように唇を塞がれた。
 風紀委員長の乾燥した薄い唇が角度を変えて何度も重なってくる。
 どうしてこんな状況になっているのか、冷静になりたいのになにも考えることができない。
 しばらくしてようやく唇が離されたかと思うと、お互いに息がかかるほどの距離で彼は口を開いた。


「何度もって何回された?」

「そんなの、覚えてないですよ」

「覚えていないほどされたのか」


 頬に触れていた手が滑るように顎に触れ、そのまま口をこじ開けられ『まずい』と思ったときには再び彼の唇が重なった。
 先ほどと違うのは、風紀委員長の熱い舌が俺の口内にねじ込まれているということだ。
 歯並びに沿ってなぞられたり上顎を舌先で突かれたり、驚き逃げる俺の舌を絡め取られたり。

 久しぶりにする誰かとのそういう濃厚な行為に体が熱くなるのを感じる。
 このままじゃ駄目だと、顔を背けようとするが再び頬を掴まれているため動かすことができない。
 それならばと両手で風紀委員長の肩に触れ引き剥がそうとするがびくとも動かない。


「っ……は」


 すぐ目の前にある切れ長の鋭い瞳が俺のことを見ている。
 風紀委員長が一体なにを考えているのか、全くわからない。
 誰もいない風紀委員室に水気の音と、俺の荒い息遣いだけが響く。


「平江……」


 低く掠れた声が俺の名前を囁くように呼んだ。
 ゾクゾクと毛が逆立つような感覚を覚えたその瞬間、全身の力が抜けてしまいソファから崩れ落ちそうになるのを風紀委員長の腕が支えてくれた。


「風紀、委員長……」

「なあ平江」


 いつの間にか手の中から落ちていた食堂のカードを拾い上げた風紀委員長が、俺の胸ポケットにそれを差し込みながら声をかけてきた。
 今度はなんだと風紀委員長を見上げていると、彼は眉尻を下げながら緩く笑い、再び顔を近づけてきた。


「俺も、スキンシップが激しいみたいだ」


 すでに腰が抜けているというのに、再び唇を深く重ねられた。




  (終)


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