信じてくれませんか。 後編


 辺りがざわざわと騒がしい。
 悲鳴につられてどうやら人が集まってきたようだ。


「はいはい待って待って。風紀委員のオレが行くから君たちは戻って」


 聞き覚えのある声が聞こえてきた。
 そして徐々に近付いてくる足音。
 突然のことに全ての反応が遅れた俺は、足音が近付くほうへ顔を向けることしかできなかった。


「あれ、なんか見たことあるな」


 青い髪を一括にまとめ、低い位置で短いポニーテールを作っているこの男は風紀副委員長の垣副(かきぞえ)先輩だ。
 過去、風紀委員のお世話になっていたとき彼にも何度かお世話になったことがある。
 基本は丁寧だけどときどき大雑把、そしてなにを考えているのかよくわからない人。
 風紀委員のお世話になっていたとき、笑っているのに目が笑っていない姿を何度か見たことがある。


「あー、平江くんか。なに、襲おうとしてたの?」


 俺と、乱れた格好をしている男子とを交互に見た先輩がオブラートに包むこともせずにそう尋ねてくる。
 その言葉に慌てて否定をしようと口を開くが、そこから音が発せられるよりも先に服を乱したままの男子が垣副先輩に駆け寄った。


「僕、ここに呼び出されて……そしたらこの人がいて、いきなり襲いかかってきたんです!」


 丸く可愛らしい瞳に大粒の涙を浮かべながら俺を指差す男子に、演技派だな、と思いつつも手のひらに嫌な汗を滲ませる。


「ち、違います。俺がここに呼び出されたんです。そうしたらこの子の友人がこの子のシャツを引っ張ったと思ったら叫び出して」


 本当になにもしていないのに疑われるなんてまっぴらごめんだ。
 俺と可愛い男子、二人の訴えを垣副先輩はどう思ったのか、大きな溜め息をこぼしたかと思うとパンツのポケットからスマホを取り出し、どこかへ連絡をしたのかそれを耳へあてがった。


「あ、帆風。悪いんだけど今からそっち行く。ちょっと問題起きた」


 先輩から放たれた聞き慣れた名前に、自分の口の中が乾燥していくことがわかった。



  * * *



 風紀委員室。
 ここに来るのは風紀委員長に初めてキスをされたとき以来か。
 そのときのことを思い出せば少しだけむず痒くなってしまうが、これから起こるであろう出来事を考えるとそんな甘い気持ちに浸る余裕すらなくなる。

 垣副先輩の後ろをついて風紀委員室の扉をくぐると、ソファよりさらに奥のほうへ置かれている風紀委員長のデスクにあの人は座っていた。


「帆風、書類とにらめっこしてるとこ悪いね」


 そう声をかけられた風紀委員長が顔を持ち上げ垣副先輩を見た。
 次いで俺の姿を表情も変えずに長めに見つめてきたかと思うと最後に服の乱れている男子を見た。


「……なにがあった」

「まずこっちの子が言うには――」


 垣副先輩が男子と俺の言い分を風紀委員長へと説明していく。
 話が進むにつれて徐々に風紀委員長の眉間にしわが刻まれていく。


「そういうことだから一人ずつ話を聞こうと思うんだけど」

「ああ、それがいいな。俺も手伝う」

「それは助かる」

「そのためにわざわざ連絡してきたんだろ」

「まあね」


 デスクに置かれていた書類を裏返しに、立ち上がった風紀委員長へ『平江くんをよろしく』と告げ、男子を連れて垣副先輩は奥の個室へと消えていった。
 残されてしまった俺はというと、緊張と不安とで心臓がうるさく音を立てていた。
 そんな俺を知ってか知らずか、風紀委員長が短く『座れ』と言ってきたため俺は一人用のソファへ、風紀委員長はいつもと同じ向かいのソファへと腰を落ち着けた。
 風紀委員長の鋭い目が俺を捉える。


「あれからどうしたのか説明してくれ」


 あれから、というのは俺たちが分かれた後のことだろう。


「まず、朝に俺の靴箱に手紙が入っていたんですよ」

「手紙?」


 頷きながらポケットに入れたままにしていたせいで少しだけ歪んでしまった手紙を取り出せば風紀委員長へと手渡す。


「印刷か」

「ラブレターで印刷なんてあんまり聞いたことないんで少しは警戒してたんですよ」


 その手紙を持って校舎裏へ向かったこと。
 確かに頭は撫でてしまったがそれは実家の犬に似ていたからだということ。
 あの男子は風紀委員長のことが好きで、そばにいた俺に腹を立てていたということ。
 など、自分が体験したことを漏らすことなく風紀委員長へ伝えると、彼は考えごとをしているらしく自身の口もとへ手を添えながら俺から視線を外している。

 もしかして、俺のことを疑っているんだろうか。

 そう考え慌てて口を開いたその瞬間、個室の扉が開きそこから垣副先輩と男子が姿を現した。
 垣副先輩は無表情のためなにを考えているのかよくわからないが、男子はポロポロと涙を頬に伝わらせている。
 なんだか、嫌な予感しかしない。


「あ、あの風紀委員長」


 垣副先輩と話すために立ち上がった風紀委員長へ声をかけるが、手で制止されてしまいなにも言うことができなかった。
 二人で部屋の隅に行き、こちらには聞こえないほどの声量で会話をしている。
 風紀委員長が持っていった印刷された手紙をときどき持ち上げたりしているが、あの手紙でなにがわかるのだろう。
 しばらく二人で会話をしている様子を眺めていると、風紀委員長は手のひらで自身の顔を覆いながら小さな溜め息を、垣副先輩はこちらへと顔を向けた。


「そっちの子は帰っていいよ。平江くんは悪いんだけど少し残って」

「ど、どうしてですか」


 思わず立ち上がってしまった。
 そんな俺を気にもしていないのか、俺をここまで連れてきた張本人は俺に目もくれず風紀委員室から出て行った。
 残されたのは俺と風紀委員長と副委員長の三人だけ。


「どうして、ですか」


 わずかに自分の声が震えている。
 信じてもらえなかったのかと、先ほどの男子のように泣いてしまいそうで手のひらを強く握りしめた。


「平江、とりあえず座れ」


 有無を言わさない風紀委員長の口調に、俺は内心舌打ちをしながら再びソファへと座る。


「平江。お前の言うことを信じてやりたいんだが、お前がやっていないという証拠がないんだ」

「……でも、俺は呼び出されたんですよ」


 俺のその言葉に、向かいのソファにまた腰を下ろした風紀委員長が頷いてみせる。


「それなんだが、相手はその手紙をお前に取られたと言っているんだ」

「な、んですかそれ」

「だから本来あそこに呼び出されたのは自分だ、ってな」


 あの手紙が印刷だった理由がなんとなくわかった。
 もし手書きだったらその文字で誰が書いたのかがわかるからわざわざ印刷にしたのだろう。
 俺にこんな思いをさせるために、わざわざ。


「本当は平江くんの言っていることが本当なのかもしれない。でもどちらにも証拠がないんじゃどちらの味方にもなれないんだ」


 部屋の隅に立ったままの垣副先輩がそう話す。


「かといって問題が起きているのにこのままお咎めなしというわけにもいかない」


 俺はなにもしていないのに。


「双方、三日間謹慎にすることにした」


 信じてもらえないことがこんなにも苦しいなんて、知らなかった。




  (終)


8.これはいけないことですか。 top