また今度しましょう。 前編
あれから数日が経ち、腰の痛みはもちろん、ようやく首の痕も薄くなってきた。
痕を隠すために今日まで第一ボタンまで閉めていたけどそろそろ開けてもいいかもしれない。
「ぴらえ、そろそろ学校ーって、なにしてんの?」
相変わらず変なあだ名を呼ぶ軽井が洗面所に顔を覗かせた。
軽井とはあれ以来、少しだけ距離が縮まった気がする。
今までは一緒に登校なんてしたことなかったのに、ここ数日は今みたいに声をかけてくれるようになった。
そんなちょっとした変化がなんだか嬉しい。
「そろそろ首開けられそうだなって」
「あー」
俺の言った意味を理解できているのかどうなのか、妙な返答に思わずそちらへ顔を向けると、いつの間にか軽井の手がこちらに伸び俺の肩を掴んだ。
突然のこいつの行動になにがしたいのかと見つめていると、軽井が顔を寄せてきたため『いつものやつか』と目を伏せてやる。
だが次いで訪れたのは左首筋への軽い痛みだった。
「……お前、まさか」
勢いよく再び鏡へ顔を向けると、薄くなってきた痕に混じって一つだけ赤い痕がくっきりと残されていた。
「虫刺されって言っときゃ大丈夫大丈夫」
赤い髪を揺らしながらへらへらと笑うこいつの股間を思わず蹴り上げてしまった俺は悪くないと思う。
股間を押さえうずくまっている軽井を置いて一人で部屋を出たり。
ホームルームに息を切らしながら遅れてやってきた軽井に思わず笑ってしまいそうになったり。
相変わらずの軽井との日常を過ごしていたらいつの間にか昼休みになっていた。
「ひーたん、食堂行く?」
「行く」
そう声をかけてくれた軽井の言葉に、椅子から立ち上がりながらパンツのポケットに手を入れた俺は違和感に気付く。
「……あ、スマホ忘れた」
「え、今さら?」
本当に今さらだと思う。
でもちょっとした休み時間はスマホをいじるよりも軽井と話すほうが楽しいんだから仕方がない。
そんなこと本人には絶対に言わないけど。
でも今スマホがないのは困る。
食堂での支払いをいつもスマホで済ませているため、財布すら持っていない俺はなにも食べられないことになってしまう。
「取りに戻るわ」
「俺代わりに払っとくけど」
「いや、すぐ返すとしても友達からは絶対に金は借りない主義だから」
代わりに俺の分の場所取っといて。
そう言葉を続けると、軽井は少しだけ悩んだように口を閉ざしていたかと思うと、納得したのか頷きながら顔を寄せてきた。
重なるだけの口付けを交わし、軽井を見送った俺はスマホを取りに寮へ向かった。
* * *
さすがに今の時間に校舎から離れた寮内を歩いている生徒はほぼいない。
自分の部屋まで来るのに一人の生徒とすれ違ったが、どうやら俺と同じく忘れ物をしていたようで財布を手に廊下を走っていた。
(俺も急がないとな)
席を取って待ってくれているであろう軽井のことを考えながら、カードキーを取り出そうと胸ポケットへ手を置く。
次いでブレザーのポケット、パンツのポケットへ。
「…………あー」
机の横に引っ掛けているバッグの中に忘れてきてしまったようだ。
「ああぁぁ……」
すぐ目の前に扉があるのに。
中には俺が求めているスマホがあるというのに。
また校舎まで戻らなきゃいけないのか。
もういっそ昼飯我慢するか、と自暴自棄になりかけたとき聞き覚えのある声が聞こえ思わず体が固まった。
「平江」
すぐ後ろから声が聞こえる。
どうしてここにいるのかとか、昼飯は食べたのかとか。
できれば一人のときには会いたくなかったとか、色々と思うことはあるけど。
とりあえず今は。
「……あの、カードキー忘れちゃって。開けてくれませんか」
ゆっくりと背後へ顔を向けると、思っていたよりも近い距離に風紀委員長の姿があり思わず息を呑み込んだ。
綺麗な白髪を揺らしながら切れ長の瞳が俺を見下ろしている。
お互いの体が触れてしまいそうなほどの近い距離。
最後に風紀委員長とキスをしたのは、いつだっただろう。
「中に忘れ物か?」
「食堂で食べるときいつもスマホで払ってるんですけど、そのスマホを中に忘れちゃいまして……」
「それは大変だな」
可笑しそうにクツクツと喉を鳴らす姿に、懐かしさとどうじに切なさを覚えた。
こうやって優しく接してくれるけど、結局は俺を信じてくれなかったんだよな。
思い出したくもないあの日のことが頭をよぎったその瞬間、扉が開いたことを風紀委員長が教えてくれた。
風紀委員だけが持っている、どの部屋も開けることのできるカードキーはやはり便利すぎる。
生徒会役員でも持つことのできない、この学園を守るための風紀委員だけが持つことのできるカード。
それだけ学園から信頼されているというのはとてもすごいことだと思う。
それに比べて、とまた面倒くさい思考になりかければ慌てて扉を開けてくれた風紀委員長へお礼を告げる。
(早く食堂に行かないと)
雑に靴を脱ぎ共用スペースから自室への扉をくぐると、ヘッドボードに充電コードが刺さったままのスマホが置いてあって、すぐに見つかったことに安心した。
素早くスマホを手に取り、部屋を出ようと振り返る。
目の前に、誰かがいた。
また今度しましょう。(後編) top